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【武術稽古法研究010】1995年1月18日

◎〈体内波〉=支点の処理から支点の質的転換へ

 新年が明けてみたら、突然に〈四方輪〉が〈体内波〉になっており、実際にその技を体験してあまりの変貌ぶりにショックをうけた人も少なくないだろう。それは〈井桁崩し〉から〈四方輪〉への展開とは比べようもなく、展開というより、消滅と言ったほうがいいほどだ。私はまだ一度しか体験していないが、今までの稽古とどう関連づけてこれからの稽古をしていったらいいのか、悩んでいる。悩んでいても稽古は続く。そこで、とりあえず感想をまとめておくことにする。

●まずは復習してみよう
 以前書いたように、甲野先生の技は〈支点の処理〉という観点から見ることができる(「武術稽古法研究・19994/07/15・中島」)。
・〈三要素同時進行〉など→「支点の並列処理」
途中、グンと飛んで、
・〈井桁崩し〉→「支点そのものの否定」
・〈四方輪〉 →「支点の球面上(三次元)移動」
という具合。
 先生の技は稽古会の初期からかなりのクオリティだったが、それが次々と展開してきたのは、先生の理想(多くの人が神棚にあげてしまった名人の技の検証)への挑戦であると同時に、その時点での技の限界を謙虚にみつめることで、常に現実的な課題を自身に課していたからだと思う。  それではなぜそれらの術理は変化せざるを得なかったのか、その役目は何だったのかを考えてみたい。

●井桁以前
 ただ先生の技の移り変わりを近くで見てきただけの私には、技の詳細を語る力はないので、本当に大ざっぱにしか言えないが、井桁以前の技法は「支点の並列処理」に関する技法だったのではないかと思う。袈裟斬りの象徴としてのラセン構造の解明からの〈三要素同時〉から始まって、〈多要素同時〉→〈多方向多要素同時〉→〈多方向異速度同時〉という流れは支点の並列処理の質的な変化の流れといえる。そして「井桁直前」に現れたのが〈無拍子打ち〉である。〈無拍子打ち〉は「体に力の濃淡が出ないようにする」「(打ちに行く時)胸を踏み台にしない」など、それまでの「体の各要素をある働きに向かってどう別々に動かすか」ということにプラスして「動きすぎる部分をどう余分に動かさないか」という問題がはっきりと出された時期だと思う。このように考えると、〈井桁崩し〉の現れる下地はこのとき十分に準備されていたのである。

●〈井桁崩し〉
 〈井桁崩し〉は「回す(ひねる)こと」を一切否定することで「体に力の濃淡が出ないようにする」「(打ちに行く時)胸を踏み台にしない」を(結果的に)推し進めた術理だったといえる。その中で明らかになったのは、「回す(ひねる)」ことでできる支点が居着きとなって気配となるということだ。体に濃淡ができるのである。「回す(ひねる)」を排していくと気配が伝わりにくくなり、相手は動きが読めなくなってくる。つまり、相手が手がかりとする支点そのものをつくらないことが〈井桁崩し〉の術理なのだ。
 しかし、〈井桁〉の象徴である「潰れていく平行四辺形」を考えてみると分かるように、すべての支点を無くすことはできない。一切の「ひねり」が消えたとしても「ヒンジ運動」は消えないのである。

●〈ロ−タリ−円〉
 ヒンジ運動が気配となって相手に伝わるのは、ヒンジの支点となる部分が「濃く」なり、全身の調養を崩すからである。さらに、なぜ支点が「濃く」なるかというと、作用部分(例えば手刀や拳)をよりよく働かせようとすると支点がしっかり固定されてしまうからである(支点が居着く)。
 支点本来の意味からすれば、よりしっかり固定されることが良い支点なのだから、普通に動いている限り支点の居着きが消えることはない。それなら〈多要素同時〉的発想で、支点そのものを動ごかしてしまったらどうか。ところが、ひとつの支点を動かしながら使おうとすると、別の支点を固定化することになってしまう。しかもただ動けばいいのではなく、ヒンジの支点の居着きが消えるように動かなければならない。そのひとつの答えが「ロ−タリ−エンジン」状の動きであっただろう。この〈ロ−タリ−円〉にもうひとつの円が加わることで円は平面から立体へ、2次元から3次元へと展開し、ヒンジ運動を吸収していくことになる。

●〈四方輪〉
 3次元に展開された円は玉となり、支点は球面上を自在に滑っていく。とは言っても玉が歪まないようにするため、支点は勝手に動くことはできない。玉は強烈な「規矩(かね)」となりヒンジの支点は〈四方輪〉の構造に組み込まれ、止まらない限り相手に気配を与えることはない。しかし、相手との間合によって玉の大きさは変化させねばならず、刻々と変わる間合は次々と新たな玉の設定を要求する。しかも動ける空間も時間も極わずかだ。それを甲野先生は玉を「膨脹・収縮」させることで解決したのではないか。
 「この膨脹・収縮によって〈四方輪〉はより3次元的になり〈四方輪〉の術理はひとつの完成をみました」(甲野先生談)
 しかし、〈四方輪〉を維持するための肩の骨を食い合わせる体構えの窮屈さは、どこか先生の性に合わないものだったのだろう、早くから「そのう ち消えるかもしれないが」という但し書き付きで語られていた。事実そうなった。が、それはあまりにも唐突だった。

●〈体内波〉  井桁以前と井桁以後では、はっきりと線が引けるほど、甲野先生の技法に変化がある。ひとつ山を越えた途端、今までと全く違う風景が現れたような感じであった。今回の〈体内波〉も、〈井桁〉→〈四方輪〉の展開とは違って、おそらく多くの人の想像の範囲をはずれたものだっただろう。
 実際見ていると〈四方輪〉→〈体内波〉は、単純に「発展」と見るにはあまりに共通点がない。しかし、その技を受けてみた感触は、〈井桁〉の山を越えて違う風景になったのではなく、「井桁山」の頂きを見るような感じだった。別の言い方をすると「〈井桁〉という種から初めて開いた花」なのではないかと思うのである。
 では、〈四方輪〉→〈体内波〉を結ぶものはいったい何か。ここでもう一度〈支点の処理〉という観点から「井桁から体内波」までを一気にまとめてみよう。
・〈井桁崩し〉=回すこと(ひねること)の否定=支点を消す
・新たなる支点=「ヒンジ」
・〈四方輪〉=玉の動きでヒンジの支点の居着きを解消
・〈体内波〉=支点の動かし方ではなく、支点そのものの質的転換により、「居着かない支点」の創出
 つまり〈四方輪〉は、ヒンジを起こす支点そのものを消すのではなく、玉を転がす「動きによって」支点を居着かないようにする術理だったといえる。〈四方輪〉はその性格上「支点が居着かないように」動かなければならないため、それを行う人の動きを規定することになる。しかも有効に機能させようとすればするほど強烈に身体を縛りつける。これは甲野先生が本来持っていた「自在な動き」と対立するのは明らかだ。

●井桁・四方輪は何を育てたのか
 しかしいくら甲野先生が才能ある武術家だといっても、「四方輪は窮屈だからもうやめた」と四方輪を脱ぎ捨てただけで、〈体内波〉が代わりに生まれるわけはない。〈井桁・四方輪〉の中で準備されたものがあるに違いない。それが何かを〈井桁・四方輪〉を体験した会員は考えなくてはならない。それが今までの稽古とこれからの稽古を結ぶものとなるからだ。しかも甲野先生が〈四方輪〉を教えることはもう(金輪際)ないと覚悟しなければならないだろう。私たちは「今の技」を先生から学ぶと共に「過去の技」で今につながる稽古もしなくてはならない。これが最初に言った「悩み」というわけだ。そして「悩んでいても稽古は続く」のだから、ここで思い切った仮説を立てることにする。

●仮説「〈四方輪〉は、支点の質的転換のための型」である
1 〈井桁・四方輪〉は「ひねり・ヒンジ」に代表される「支点」を排除するためのものではなく、「日常的な支点の有り様」を「武術的な支点の有り様」に質的転換するための稽古である。
2 「支点」は『井桁・四方輪』で強烈に否定される中で本来の特性である「居着き(よりしっかりするのが良い支点である)」を変質させていく。 支点の居着きがはがれる。
3 質的転換した支点は、支点そのものの居着きがはがれているので〈四方輪〉の型をはずしても(究極的には自由に動いても)、支点として働かない(居着かない)。そのため、今まで「支点」といわれていたところが気配を出さず、技を受ける側には手がかりとならない。
4 また、支点の居着きがはがれることで身体全体の濃淡がなくなり、体感的には全身が均等に「よく干したふとん」のようにフワッとする。体中が細かく割れ、その割れが互いに居着くことなく自由である。
5 体中が細かく割れ自由であるため、それぞれが「ブラウン運動」をしているように感じられる。それで当初、甲野先生は「波動」「振動」「波」という表現をした。
6 故に、我々会員は「〈四方輪〉は、支点の質的転換のための型」と捉え直し、支点の本性である「居着き」を強烈に否定することを意識した稽古をすることが大切になる。

●〈体内波〉へのキ−ワ−ド
 以上、いささか乱暴に「仮説」を述べたが、先生の今回の変化を〈支点の処理〉から「支点そのものの質的転換」への変化と観て間違いないだろう。そのため私自身のこれからの稽古では、当面次の言葉を中心に据えたものとなるだろう。
 「〈体内波〉へ至るキ−ワ−ドは〈居着かない支点〉である。」
 以上

010の補足(2004年1月)
 この文章は『武術で拓く身体の思想』(合気ニュ−ス)に一部変更を加え収録していただいた。
 文中「多くの人が神棚にあげてしまった名人の技の検証」とあるのは、言い過ぎ。名人の技ができる人は少ないかもしれないが、それを追求している人は、当然のことながらたくさんいると思われる。


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