【武術稽古法研究003】 1994年7月15日
◎「支点の処理」ということから松聲館の技を考える
甲野先生の武術は、松聲館の初期から現在まで、技の深化に伴い変化してきたように見える。特に「井桁術理」の発見直後は、その変化が大きく、全く共通性がないと言ってもよいものだった。ご存知のように、それもその後の展開の中で、以前の先生の動きを知るものにとってなじみのある動きとなってきているが、反ってその動きの質の変化、術理の進展といったものが見えにくくなったとも言える。そのため、稽古に際して術理の本質的な部分を念頭においておくことが大切だろう。
●変わらずに流れるもの=支点をどう処理するか
甲野先生の技を松聲館初期から思い返してみると、見かけの変化が激しいにもかかわらず、決して変質しない部分があるのがわかる。つまり、それらは「松聲館の歴史」を通して変わらず流れているもののことである。その中のひとつを「支点の処理」という言葉で表すことができるのではないかと思う。
武術稽古研究会の初期の先生の造語に〈空中支点〉なるものがある。これは、本来、支点として働いている関節を支点とすることなく、他の場所、例えばひじと手首の間や、文字通り空中の一点に支点を想定して動いていく、というものであった。これは通常の支点となる部分から「支点をずらす」ことで自分の動きを相手が検出しにくくなるということだったと思う。
また〈三要素同時進行〉というのがある。例えば上下方向、左右方向の二要素を乗せた全体が前進することで、見かけ上の「前進」だけに対処しようとする相手の防御を無効にしてしまうということである。これは言い換えると「三つの支点が同時に動いている」ということであり、一般的に人は「一つの支点だけに対処しようとする」ため「予測がはずれて」技が決まるという考え方である。今からその頃の稽古を振り返ってみると、日常的な動きの延長では支点を次々変えて動く動き([支点の直列処理])になってしまうため、それを同時に動く動き([支点の並列処理])になるように「質的転換」していくことであったと言えるのかもしれない。
このように考えると、「支点の処理=支点をどのように処理するか」を甲野先生の武術を知る上で、キ−ワ−ドのひとつと考えてもいいように思う。松聲館の技の変遷も、
「支点をずらす動き」「動きの中に複数の支点を同時に存在させる」→〈井桁〉における「支点そのものを作らない動き」→〈四方輪〉などにおける「支点を消していく動き」
という見方もできる。
●「支点」の理解度が技を規定する
おそらく松聲館の武術に限らず、生の力を使わないことを前提とする武道・武術では、「支点をどう処理するか」がその技法に色濃く反映されているのではないだろうか。なぜなら人が普通に、攻撃する、あるいは防御する、反撃する時、相手の支点を手がかりにするからであり、いわば、相手の支点を杖にして寄りかかることで自分を立たせている状態になるからである。だからこそ自分の中にある、相手が支えにしている支点をはずす、ずらす、消すなどの処理をすることで相手はそれなりに崩されるのである。その処理の仕方も、「わざと与えておいてパッとはずす」あたりから「心理的な支点を消す」レベル(あるいはもっと高度なものもあるのかもしれないが)までさまざまであり、その「人間と支点」の考え方によって、それぞれの技法が成り立っているように思えるのである。
以上
003の補足 (2003年11月)
「支点の処理」の考え方は現在でも通用する。「ねじらない・ためない・うねらない」も「支点の処理」である。
〈空中支点〉については松聲館内部で作成した小冊子『松聲』(1982)で初出。その抜粋が『縁の森』(合気ニュース、1997)に再録されている。